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最近のこと・・・ [日記]

年末です。皆さんもお忙しくされてますかね。
もうすぐクリスマス
bankekronも頑張って働いてます。

そんななか、先日 シンガポール国立大学の学生さんが来広され、日本文化体験ということで私のお客様である和裁屋さん㈱勝矢和裁さんにご協力いただき着付け体験させていただきました。
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美女に囲まれデレデレしてます

お客さんとは社長さんとお会いすることが多いので、仲よくしていただくのも社長さんが多いのですが、こちらの勝矢和裁さんとは従業員さんみなさんとのお付き合いで、両社合同で社員が集まりうちの駐車場焼肉大会もしました。
従業員さんも経営者の皆さんも皆さん良い人ばかりで…。
かわいがってもらってます。
皆さんも和服のお仕立て等ありましたら是非ご用命ください
https://www.katsuyawasai.com/

そのほか、安芸高田市にある別のお客様の工場見学に行きました。
そして終了後社長様に安芸高田市吉田町の毛利元就のお墓にご案内いただきました。

お墓には百万一心の石碑があります。
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百万一心とは、毛利元就が郡山城を築城する際に、これまで人柱を立てる(埋める)のが当然でしたが、毛利元就はこの百万一心の石碑を埋めて人柱を立てなかったんですね。
百万一心 とは 一日一力一心 とされてます

百万一心 Wikipediaより
百万一心とは、「百」の字の一画を省いて「一日」・「万」の字を書き崩して「一力」とすることで、縦書きで「一日一力一心」と読めるように書かれており、「日を同じうにし、力を同じうにし、心を同じうにする」ということから、国人が皆で力を合わせれば、何事も成し得ることを意味している。吉田郡山城の改築で本丸石垣の普請が難航したときに、人柱に代えて、本丸裏手の「姫の丸」(姫丸壇)にこの句を彫り込んだ石を埋めたところ、普請は無事に終えられたと伝わる。同じく毛利元就の教えとされる三矢の教え(三子教訓状を参照)と共に、一致団結の大切さを訴えた教えとされている。
この石碑は、文化13年(1816年)に長州藩士だった武田泰信が姫の丸で発見、拓本の要領で写しを取った後に、明治15年(1882年)に写し取った拓本を毛利元就を祀る豊栄神社(山口市)に奉納した。ただしこの逸話は、毛利家文書や閥閲録その他の一次史料には記載されていない。
その後、吉田全町をあげて郡山全山を探索したものの、礎石の実物は発見されなかったため、観光パンフレットなどには「郡山城最大の謎[5]」と書かれている。昭和6年(1931年)には、吉田郡山城跡の中にある毛利一族の墓所境内に、その拓本を元に模刻した石碑が建てられた。

毛利元就と言えば三本の矢とか有名ですね。
大河ドラマにもなりました

そのお墓が安芸高田市吉田町にあります。
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苔むすとても雰囲気の良いところです
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後ろの白い木が墓標とされた木ですが既に枯れています。
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